RYOKO's world according to her CATS

生まれ変わったら私の飼い猫になりたい!

アンタッチャブルにゃらぬアンコーチャブル!

こんにちは、マロン。です。
相変わらず、暑いですね。
もう残暑の季節に入ってきたのでしょうか。
ボクは曲がりなりにもロシアンブルーですが、
あったかいところが大好きです。

とはいえ、あついとだらりんにゃ


床は冷たくて、ええニョォ〜

そんなボクを横目に、
これから涼しくなっていくのかしら,どうやら日も短くなったようだし,
と悲しげに月を見る飼い主に、久しぶりに共感を覚えてもしまうボク。
まあ、通じ合うのは、この程度のこと、ということでしょう。


さて、今日は、どんなひとにとって、コーチングは必要か、ということを
考えてみたいと思います。


というのは、飼い主が、瀬戸内のちっちゃな島で出会ったおじさんの話ばかりするからですが・・・

島って、こんな感じのところ出そうニャ。



そもそもコーチングを必要とするひと、あるいはコーチを依頼する人というのは、
だいたいの相場が決まっているように思うのであります。

自分をもっと成長させたい。
成功はしているが、なんだか人生に物足りなさを感じている。
部下を持ってみたが、上司としてうまくいかない。


なんていうのが、代表的ではないでしょうか。(あくまで私感ですが)


ひるがえって、以前コーチUさんに「アンコーチャブル」にあたる人がいます、
というのをきいて、飼い主が自分にあたるのではないかと、大層不安がっていたとキガリ増す。

その、アンコーチャブルとは、いろいろ定義もあるようですが、
一言で言ってしまうと、

「変化をのぞむといいながら、本当は変化を望んでいない人」
コーチングで決めた行動を行わない人」
「精神的疾患のある人」

などだそうです。


ここで、瀬戸内のちっちゃな島のおじさんの話に戻しましょう。
その人はどうやら、島に一軒しかないお店の店主(というより店番)の方だったそうな。

ちっちゃな島とはこう島だそうだそうだニャ。
船で行くそうだニャ。
ボクは水が大嫌いだから、うれしくともなんとも、ニャイ。



それほど遅くない夕方に、たまたま通りがかってみたものの、
雨戸は閉まっているし、中は真っ暗。
でもどうやら、ビールの空き瓶がたくさん転がっている・・・

そこで、飼い主は、「これは店に違いない」と推測を働かせて、
乾いたのどを潤すために、思い切って、雨戸を開けたそうです。


そして、
飼い主「こちらはお店ですか?」


そして、
おじさん「ええ。そうですよ。なーんでもあります!」



ここで、飼い主が笑い転げたことは想像に難くありません。
なぜなら、そのお店、「2種類のビールと、飲み物と、酒と、塩、そしてカップヌードル」うぃか
おいていないところだったからです。

そして、そのカップヌードルんぼ食べかけが、どうやらおじさんの居場所と思われるテレビの前に
置いてあります。

東京なら、「なんにもないお店ですけれど・・・」
なんていう、コトバが出てきそうなお店です。

しかし、おじさんは、開口一番、言い切ったのです
「なーんでもあります!」


たしかに、小さな島(人口30人くらい)で生きていくには、充分なのかもしれません。

食べ物に飢えていた飼い主が、あれこれ探っていて、
「あ、このかにかまも欲しい!」
なんて言った日にゃあ、おじさんも「こりゃ、ぼくが食べるんです」と、きっぱり断られたとのこと。
笑うしかかなかったそうです。

あの飼い主相手に、よくぞまあ、肝っ玉の据わったおじさんです。

見たことも内容な牛乳のビン底メガネをかけたおじさんの目の奥に、
飼い主は、自信と純粋な目を見た、と言い張ります。


しかし、ビン底メガネごしじゃあにゃあ・・・


とにもかくにも、東京に帰ってきても、おじさんの残像が消えてない飼い主は、
たまたま考えたそうです。

「おじさんにコーチをしてみたら、どうなるんだろう」


島には、ある宗教団体の新聞も運ばれていました。
小さな島です。
心のよりどころを求めている人も少なからずいるのだという現実をしった飼い主。
それでもなお、
「わたしは、例えわたしがコーチでもおじさんをコーチングしたくない」という結論に
至ったようです。

コーチの方々にとっても、「アンコーチャブル」というより、

なぜにゃ?


おじさんはおじさんで、幸せで、一見自分の仕事にも満足していて、
それを誇りに思っているかもしれない。

しかし、それ以上に、飼い主は、おじさんをそのままにしておきたい、
という願望が強く出てしまっているようなのです。

たとえ、おじさんが実は自己成長を望んでいて、行動力があったとしても・・・



コーチングはそもそも海外から輸入されてきた概念であり、メソッドであります。
それを、田舎に済み続ける人に施し(ほとんどは失敗するでしょうが)、
田舎の人々の良さも悪さも含めて変わってしまったら・・・


まあ、今回、飼い主は田舎の人の「悪いところ」もたくさんみてきたようで、
それはそれで、一講釈したいくらいな勢いをみせておりますが、
それと背中合わせで、
なんにもないお店にを誇らしげに「なんでもあるよ」と普通に言い切れる人間を、
飼い主は、こころから尊敬しているようなのです。
たとえば、ビン底メガネでも・・・
(っていうか飼い主の男の趣味は変わっておりますので、まあもしかしたら・・・にゃ、以下省略ニャ)


なぜにゃ???


飼い主は、
わたしだったら、出来ないことも含めて
「わたしはなんでもできます」って言えるだろうか。
その後、出来なかったら、どうやって弁解するのだろうか、あるいはしないのだろうか。という
正解のない疑問を楽しんでいるようでもあります。

にたにたしながらですにゃ。


瀬戸内の島々でたくさんの美しい風景を見てきたはずなのに、ビン底メガネのおじさんに思いを馳せる
飼い主をみて、
ひとこと人間語で、


「ヘンタイダニャ」

といってやりたいのであります。


ちなみに、おじさんのお店で、「発掘」した、かき氷は、今まで食べた中で一番美味しかったとのこと。
よく、コンビニでも売ってる、あれですがにゃ。



珍しき、めでたきひとかな、アラサー飼い主。